規制から合法化へ:アメリカの大麻政策変革の軌跡

アメリカにおける大麻政策は、19世紀の医療目的での使用から始まり、医療用および嗜好用大麻の合法化に至るまで、時代と共に変化をとげています。

この記事では大麻の社会的・法的地位の変遷をたどりながら、アメリカにおける大麻法制の歴史的背景を時系列で解き明かします。医療から嗜好、禁止から合法化へ、時代ごとの政策の変化をつかんでいきましょう。

目次

アメリカの大麻政策の変革を時系列に沿って解説

アメリカの大麻史の変革を時系列で解説します。

大麻チンキの衰退(1900年代初頭)

19世紀半ばに西洋医学に導入された大麻は、痛みや不眠症の治療に広く使われていました。アメリカでも大麻チンキは多くの医師によって処方され、その医療効果は当時広く認識されていました。

大麻チンキは主にカンナビスインディカを原料としており、アルコールに浸す製法によって作られます。しかし原料となる大麻の個体差によって効力にばらつきがあり、正確な投与量の決定が難しいというデメリットがありました。

一方、1898年にバイエル社によってアスピリンが合成されたのを起点として、睡眠薬や精神安定剤がピルの形状で次々と開発されるようになります。当時、ミリグラム単位で投与量をコントロールできるピルの存在は、画期的だったといいます。

次々と開発される現代薬品の利便性に押され、20世紀初頭には大麻チンキの人気は低迷し、ほとんど使用されなくなっていったのです。

マリファナ課税法による大麻規制の始まり(1920~30年代)

1920年代から1930年代にかけてアメリカでは、禁酒法によりアルコールが手に入りにくくなります。その結果、人々は大麻に目を向け始めました。多幸感や陶酔効果を求める一般の人々にとって大麻は新たな嗜好品となり、人気が急上昇します。

最初はチンキやバームとして使われていた大麻でしたが、やがて喫煙による使用が主流になりました。元々はメキシコ移民や黒人ジャズミュージシャンの間でのみ嗜まれていた大麻喫煙が、アメリカ大衆文化の一部となり、広く受け入れられるようになったわけです。

しかし、この変化は新たな問題も引き起こします。

かつて医療用として利用されていた大麻が、娯楽用の麻薬とみなされるようになり、公衆の間に批判が高まりました。1936年のプロパガンダ映画「リーファマッドネス」は、大麻の危険性を過剰に描写し、人種差別的なステレオタイプと結びつけることで、社会における恐怖心を助長しました。

この問題に対応するため連邦麻薬局が設置され、初代局長ハリー・J・アンスリンガーの指揮のもと、1937年に「マリファナ課税法」が可決されました。

この法律は大麻の所持や医療目的使用を直接犯罪化するものではありませんでしたが、罰則や取り締まり規定を設け、大麻関連の活動に対し厳しい規制を加えました。

当初マリファナ課税法は、嗜好用途の大麻使用を阻止する狙いでしたが産業用ヘンプまで影響を受け、アメリカ国内のヘンプ輸入と商業用生産が軒並み暴落しました。さらには大麻草に関する研究や医療検査も減少。1941年には米国薬局方から大麻草が削除され、以後70年にわたって大麻の違法化の基盤が築かれていったのです。

神話と真実の間で「ラガーディア委員会報告書(1938年)」

大麻禁止政策は社会全体に影響を及ぼします。医学界においては大麻の潜在的な治療効果の探求が妨げられました。

1937年に「マリファナ課税法」が可決後、アメリカでは「大麻は危険なもの」と捉える疑わしい神話と真実を区別する試みがなされましたが、それは容易なことではありませんでした。

1938年にはニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディア氏の率いる委員会が、大麻の有害性について調査を開始しました。1944年に公開された「ラガーディア委員会報告書」は、「大麻の使用が肉体的、精神的、道徳的な退行につながらない」と結論付け、大麻使用と犯罪との関連性や使用停止時の禁断症状の存在について否定しました。

しかし、この報告は大麻に対する一般的な認識を変えるには至らず、誤解は依然として根強く残ったのです。

ニクソン政権と大麻政策(1970年代①)

1969年から1974年にかけてのアメリカでは、リチャード・ニクソン大統領の下で大麻に関する政策が大きく変化しました。

当時ベトナム戦争が激化し、国内では戦争に反対する声が高まっていました。反戦運動に参加する若者の中には、大麻を使用する者もいたため、ニクソン政権は大麻と反戦運動と結びつけます。これには国民に対し、反戦運動への反感をあおる狙いがあったわけです。

ニクソン大統領は大麻使用に関する包括的な調査を目的として「シェーファー委員会」を設立しました。委員会は約400万ドルの予算を投じ、4000ページに及ぶ詳細な研究を行ったものの、その結果はニクソン政権の期待とは異なるものだったのです。

シェーファー委員会は「大麻に対する刑罰が大麻そのものの影響よりも社会にとって有害である」と結論付けます。

米国規制物質法における薬物の区分をスケジュールといい、大麻草は現在でもスケジュール1(最も高い乱用性)に区分されています。シェーファ委員会では、スケジュール3(中程度の乱用性と依存性)へ区分するとともに大麻の個人所持の非犯罪化を提案しました。

非犯罪化とは従来犯罪としてきた行為を処罰しないようにする取り組みです。しかし、ニクソン大統領はこの報告結果を完全に無視し、委員会のすべての勧告を拒否しました。

ニクソン政権の方針は大麻に関する政策と社会の認識に長期的な影響を与え、現在に至るまでその影響が続いています。事実、現在でもアメリカでは大麻がスケジュール1に区分されているわけです。

ニクソンの取った厳しい大麻政策は、政治的な目的が科学的根拠を上回った顕著な例として広く認識されています。

厳しい規制のウラで密かに進められる大麻草の栽培(1970年代②)

1970年代に入ると大麻の法的な規制はますます厳しくなります。

コントロールド・サブスタンス法(Controlled Substances Act, CSA)の施行により、1970年に大麻はヘロインやLSDと同様に「スケジュールI」のカテゴリーに分類されました。

この分類は大麻が高い乱用の可能性を持ち、医療用途が認められていない物質として厳しく規制されることを意味しています。その一方で、一部の国々での研究や臨床試験では、大麻が特定の健康問題に対して有益な効果を持つ可能性を示唆しています。

この矛盾した状況の中、大麻禁止政策のウラでは、栽培者たちは密かに大麻を栽培し続けており、大麻を取り巻く環境が混沌を極めた事態だったといえます。

余談ではありますが、当時の栽培者にはTHCを多く含む品種が好まれたため、現在は健康成分として注目されている「CBD成分を含む品種」が減少する結果となった背景があります。

医療大麻における歴史的転換点(1996年)

1980年代から90年代にかけて、エイズといった深刻な病気への対策として、大麻の緩和作用に注目が集まりました。

この背景を受け、1996年にアメリカの大麻政策における画期的な出来事がカリフォルニア州で起こります。州民投票を経て、全米で初めて医療用大麻の合法化が実現しました。

この新しい波に乗じて、医療大麻の生産者と利用者が手を組み、共同で組合を立ち上げました。医師の許可を得たIDカードを持つことで、誰もが医療大麻を手に入れることが可能になったのです。

この変革の核心にあったのが「思いやりのケア法215号」です。この法律は医療用大麻の利用を正式に認めたものの、大麻の流通や販売、課税、規制に関する具体的な規定は欠けていました。しかし、この法律は医療用大麻の地位を強化し、アメリカ全土の法改正に大きな影響を与えたのです。

1996年にカリフォルニア州で起きたこの出来事は、医療用大麻に関するアメリカの歴史において大きな転換点として刻まれています。

オバマ政権からトランプ政権にかけての大麻政策転換(2010年代)

2013年オバマ政権の下で「コールメモ」と呼ばれる文書が公表されました。

コールメモはいくつかの州では大麻が合法化されているにもかかわらず、連邦法では依然として禁止されているという状況に対応するために策定されたメモです。このメモの主な目的は、州の法律に従って大麻を使用または販売している人々への取り締まりを緩和することであり、それにより州による独自の大麻法の制定を事実上認めることでした。

しかし、政権がトランプへと移行した2018年、大麻政策に関して重要な変更が行われました。当時の司法長官ジェフ・セッションズはコールメモを撤回し、新たに「大麻執行メモランダム」を発表します。

この新しいメモランダムは、コールメモの方針を根本的に覆し、連邦検察官に大麻に関連する連邦法を厳格に執行するよう指示していました。

ただし個人が連邦法を遵守し、州法に抵触しない場合には、比較的寛容な姿勢が取られることも示されていました。また、セッションズは大麻を「重大な犯罪」と位置付けたものの、連邦検察官に大規模な取り締まりを強制するわけではなく、その裁量に委ねる方針を採っていました。

このエピソードは、アメリカにおける大麻の法的な扱いが政権の交代に伴って大きく変わり得ることを示しています。

バイデン政権による大麻法制の歴史的変革「恩赦と法律見直しの道筋」(2022年)

バイデン政権がアメリカの大麻法制に歴史的な転換をもたらそうとしています。

2022年10月バイデン大統領は、1992年から2021年にかけて大麻の単純所持で有罪となった約6500人の米国民に、恩赦を与えるとを発表しました。

この措置は、連邦法における大麻の取扱いに対する変化の兆しとされています。

現在の法律では、大麻は1970年にニクソン大統領によって制定されたコントロールド・サブスタンス法のもと、ヘロインやLSDと同じく最も危険な薬物に分類されています。この分類は、大麻草を反体制文化の象徴とする考え方に基づいたもので、医療的な根拠に基づくものではありません。

そのためバイデン政権はこの分類に対する見直しを検討しており、これまで半世紀以上続いてきた連邦政府の厳罰政策に変更を加える可能性があります。この変化は、大麻法制に関するアメリカ社会の見方に大きな影響を及ぼすと期待されているのです。

しかし、この政策が州レベルで大麻に関連する有罪判決を受けた人々や移民を対象外にしているため、大麻擁護団体からは懸念の声が上がっているのも事実です。いずれにせよ大麻法制の未来に向けたこの大きな一歩は、多くの議論と注目を集めています。

まとめ

この記事ではアメリカの大麻政策を取り巻く歴史について解説しました。

19世紀の大麻チンキから始まり、禁酒法時代の流行、マリファナ課税法による規制、そして医療用大麻の合法化に至るまで、大麻はアメリカ社会の多様な側面を映し出しています。

今後も大麻法制の進化は私たちの生活に影響を与え、新たな議論を呼び起こすことでしょう。

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この記事を書いた人

CBDブランド「Kannaway(キャナウェイ)」についての情報を発信しています。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • いつも素晴らしい情報おまとめ、ありがとうございます。みなさまのお役に立ち、感謝のお声をたくさん聞きます。これからもどうぞ宜しくお致します🎀💕

    • 有子さん
      いつもコメント嬉しいをいただきましてありがとうございます。
      記事を読んでいただいているかとがいらっしゃると思うとすごく励みになります✨
      今後ともどうぞよろしくお願いします‼️

🌹今井有子🌹 へ返信する コメントをキャンセル

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